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院生のフィールドレポート

イギリス / ロンドン

報告者:

グローバル・スタディーズ研究科 地域研究専攻 博士前期課程
箱崎 拳汰

調査地:
イギリス・ロンドン、ブラックプール
調査・研究課題名:
第一次パンクムーブメントの受容 ー ファンから見た英国パンク・ロック ー

1. 調査概要

 2025年7月29日から8月20日にかけてイギリスにおいて調査を行った。基本的にはロンドに滞在した。また、8月6日から10日にかけてイギリス北西部に位置している、ブラックプールにおいてパンク・ロックの音楽フェスティバル“Rebellion Festival”が行われたので、その時にはブラックプールへと滞在した。
 パンク・ロックはロンドンでムーブメントが発祥し、その後イギリス全土および世界中へと広がっていった。1976年にロンドンのパンク・ロックバンド、The Dammedが7インチのシングル”New Rose”をリリースしたことをきっかけにパンク・ムーブメントは発祥したと言われる。しかし、このムーブメントは1978年には終わってしまう。この2年間の間にイギリスの若者はパンク・ロックの何に共感し、パンク・ムーブメントの波に乗っていたのだろうか。その問いに答えを見出すべく、ロンドンとブラックプールに滞在し調査を行った。

2. 調査内容

①ロンドンでの調査
 ロンドンでの調査は知人を頼りに、当時パンクス(パンク・ロックファンの呼称)だった人に紹介していただきインタビューを行った。ロンドンでは7人にインタビューを行った。その中には、当時はファンだったがパンク・ムーブメントに感銘を受けて音楽業界に入った人、パンク・ロックバンドをプロデュースした人、パンク・ロックのD I Y(Do It Yourself)精神に基づきファンジンを作り始めた人などにインタビューをした。そのため、パンクスとしての視点だけでなく、音楽業界から見たパンク・ロックなどのお話を伺うことができた。

②ブラックプールでの調査
 ブラックプールで行われたRebellion Festivalは毎年8月に行われており、イギリスで行われるパンク・ロックの音楽フェスティバルで一番大きい。そこでは当時からパンク・バンドで活躍しフェスティバルで演奏した方をご紹介いただきお話を伺うことができた。加えて、パンク・ロックのパイオニアであるSex Pistolsのボーカルであったジョン・ライドンと交友関係にある方をご紹介いただきインタビューを行うことができた。また、会場に来ていたパンクスの人たちにもインタビューを行った。そこではご紹介いただいた2名の方に加え、4人の方にお話を伺うことができた。

Rebellion Festival会場前の様子
Rebellion Festivalで配布されたパンフレット

3.フィールドワークで得られた知見

 本調査では多くの方々の協力を得ることができ様々な知見を得ることができた。その中でも共通していた回答などから2点をピックアップして紹介する。

①パンク・ムーブメントとは何だったのか
 パンク・ロックとは何だった(What does ‘the first generation of the punk movement’ mean in general?) のかということを本調査のインタビューにおいて最初に質問した内容である。この答えは全ての人が共通してRebellion(反抗)であったと述べた。その上で反政府主義、反差別主義、当時の音楽産業への反抗という答えが返ってきた。また、パンクというのはアイデンティティであったと述べた方もいた。当時のパンクスは数としては多いわけではなかったらしい。しかし、若者が集いそのエネルギーで大きくなっていき、当時の常識や政府に対し反抗していたったのがパンク・ムーブメントだったというのが考えられる。しかし、パンク・ロックが76年に勃興してから77年にはコマーシャル化され “反抗” という目的ではなく、パンクファッションとしてアイコンとなってしまった、ファッションで参入する人が増えたと言っていた。そのため。2年間というとても短いうムーブメントであったのにも関わらず大きな移り変わりが一年もしないであったということを認識した。

②どのようにパンク・ロックが若者の間で広まっていったのか。
 パンク・ロックが出始めてきた70年代中期はやはり、ラジオ放送で最新の音楽の流行を把握するのが当時の音楽好きが行う日課だったらしい。テレビ番組は当時3チャンネルしかなく、音楽番組もヒットチャートを流しアーティストが歌うという番組だったという。その中でもパンク・ロックの音楽は歌詞の過激さや素行により、放送禁止になってしまうことが多かった。その中で多くの人が口を揃えていったのがジョン・ピールのラジオ番組がパンク・ロックにアクセスをするための一番大切であったらしい。ジョン・ピールは無名のアーティストでも構わず、演奏をさせたり、レコードを番組で流したりしたらしい。それで多くの若者はパンク・ロックを知ったと思うと多くの人が言っていた。
 加えて、word of mouth (現在でいう口コミ)がとても大きかったと言っていた。情報が限られている中で、事あるごとに悪者としてマスメディアに取り上げ続けられたパンク・ロックはそこからイギリス全土に広がり、知って行く上で若者同士の口伝えに広まっていったのが大きかったようだ。
 フィールドワークへ行く前は、パンク・ロックの有名な曲がラジオ放送で放送禁止されてしまったという情報は知っていた。しかし、ジョン・ピールのラジオ放送がパンク・ムーブメントを加速する上で大きな役割を担っていたということが本調査で明らかとなった。

4.調査の反省・今後の展望

 本調査では多くの人のご助言、ご協力があり行うことができた。本調査の反省点は2点ある。1点目は事前にポピュラー音楽、サブカルチャーに関する論文を事前にもっと読むべきであった。音楽業界に携わっていた人と話すのは、現地についてから決まった。そのため、より多くの情報を知っておけば多角的な面で質問をすることができただろう。2点目は体調管理にもっと気を遣っておけばよかった点だ。ブラックプールでの音楽フェスティバルでコロナウイルスに感染してしまった。それゆえ1週間ほど寝込んでしまった。その期間はオンラインでインタビューを行ったが、インタビューの予定があった人たちとは直接話すことができなくなってしまった。そのため、フィールドワークのペース配分なども考えるべきであった。今後は、関わってくださった方々との関係維持に努め、本調査で得た情報を修論の執筆に取り組む。