李 光平
グローバル・スタディーズ研究科 地域研究専攻 博士前期課程
2024年1月26日から2月19日にかけてマレーシアのクアラルンプールとサバ州コタキナバルとクニンガウに滞在した。今回の調査は、マレー語によるカトリックの共同体にどのような人々が集まっているのかを調査することと、2024年夏に予定している本調査での調査地の選定を目的として実施した。
マレーシアの人口は約7割がブミプトラと呼ばれる先住民で、その多くはムスリムのマレー人であるが、ボルネオ島部のサバ州・サラワク州を中心に非ムスリムのブミプトラがいる。マレーシアのカトリック教会では信仰実践や教会運営など実務では主に英語が使用されており、マレーシアに9ある司教区のうち8の司教区のウェブサイトは英語で開設されているほか、教会の情報ハンドブックや統計資料など日常の信仰生活にかかわる部分まで英語が使用されている。しかしサバ州のクニンガウ教区のみはマレー語でのウェブサイト開設やマレー語での資料発表などが見受けられたため、実践や運営で主にマレー語が使用されていることが考えられた。今回はクニンガウ地域での信仰実践や教会運営などで、どれほどマレー語が使用されているのかを調査することが目的であった。今後、サバ・サラワクから半島部マレーシアに移住したブミプトラがカトリックを共通項に新たな共同体意識を形成していることについての研究を計画していることから、移住先であるクアラルンプール首都圏のカトリック教会においてどのようなコミュニティを形成しているのかを、教会関係者などへの聞き取り調査を実施した。

① 文献調査
サバ州コタキナバルのサバ州立図書館本館とクニンガウのサバ州立図書館クニンガウ分館において文献調査を実施した。サバにおけるカトリック教会の宣教の歴史にかんする資料や、サバのブミプトラの各民族集団にかんする資料のほか、調査地となるクニンガウの地域にかんする歴史や統計資料などを収集することができた。
② 教会の訪問とミサ参加
サバ州コタキナバルでは郊外ピナンパンの聖ミカエル教会、クニンガウでは市内の聖フランシスコ・ザビエル司教座聖堂、クアラルンプールでは聖心教会と聖アントニオ教会のミサに参加し、参加している人々への聞き取りや関係の構築を図った。
③ 教会関係者への聞き取り調査
クニンガウでは、聖フランシスコ・ザビエル司教座聖堂でクニンガウ司教区の司祭や教会で奉仕を務める信徒に聞き取り調査を実施した。クアラルンプールでは郊外のプタリン・ジャヤ市に位置する聖フランシスコ・ザビエル教会でマレーシア人イエズス会司祭への聞き取り調査をしたほか、調査協力者となるサラワク州出身のブミプトラ男性信徒を紹介してもらった。


① サバでの信仰実践や教会実務で使用される言語について
本調査の計画段階では、クニンガウ教区では信仰実践や教会運営などは主にマレー語で、コタキナバルやクアラルンプールでは英語によるものが中心であると想定していた。実際に教会でのミサや活動に参加したところ、マレーシアのカトリック教会では想定以上により複雑な言語相が展開されていることがわかった。
コタキナバル郊外の聖ミカエル教会では、サバのブミプトラであるカダザン人により使用されるカダザン語のミサがあるほか、ミサ式文だけでなく祈祷書や信仰にかんする書籍がカダザン語で出版されていた。さらに聖ミカエル教会ではカダザン語ミサだけでなくマレー語のミサも実施されている。しかしコタキナバル大司教区全体では教区からの公式の発表、出版物などは英語によるものが殆どで、カダザン語によるものはカダザン人の多い地域や共同体を除くと限られたものであると考えられる。
クニンガウにおいても同様で、カダザンドゥスン語のミサとマレー語のミサがあった。主にコタキナバル周辺に住むカダザンと内陸部のドゥスンという民族集団ひとまとめにしカダザンドゥスンという表現がされ、言語も同じとみなされているが、当事者たちのあいだではこのふたつの民族概念は明確に区別される。しかしカダザンドゥスン語を表記する際の正書法などはカダザンに則っており、今回の調査で入手したコタキナバル大司教区が発行しているカダザン語のミサ式次第もカダザン語で書かれている。ドゥスンの多いクニンガウの教会でカダザン語のミサ式文や聖歌が使用される際はそのことを意識してか、カダザンドゥスン語という表記が使用されていた。
カダザンドゥスン語ミサでマレー語での聖書朗読や聖歌が挿入されたり、マレー語ミサでカダザンドゥスン語の聖歌が歌われることがあった。実践されるとき、マレー語とカダザンドゥスン語による信仰実践は別の言語であるからと分けられるものではないことが考えられる。また、英語による実践とマレー語/カダザンドゥスン語による実践の場面は分けられるものでもあると推測する。
教会実務上でもクニンガウではマレー語が中心に使用されていることがわかった。マレーシアの教会関係の出版社から発行されている、各司教区の情報や公式統計などが書かれたハンドブックを閲覧した際にも、他の司教区は英語で書かれていたがクニンガウ司教区のページのみマレー語で記載されていた。
② クアラルンプール周辺での信仰実践や教会実務で使用される言語について
クアラルンプールでは主に英語が使用されており、英語ミサはどの教会でも捧げられている。教会によっては日曜日に英語のほか主に中国系住民が集まる中国語ミサとインド系住民が集まるタミル語ミサがある。マレー語のミサがある教会もあるが、どの教会でどの言語のミサが設けられているかは教会による。
滞在中に参加した灰の水曜日のミサでは、平日に実施する都合上か言語別にミサが設けられず、英語と中国語、タミル語の言語共同体が一斉に集まっており、英語でミサが捧げられた。説教や一部の聖歌を中国語やタミル語で歌われていた。但しミサ曲と呼ばれる、すべてのミサで固有に歌われる曲はマレー語で、その理由を信者に問うと「マレー語がいちばんジェネラルな言語だから」という答えが返ってきた。
③ クアラルンプール周辺のマレー語共同体について
上智大学のイエズス会司祭に協力を要請し、マレーシアのイエズス会司祭を紹介していただいた。クアラルンプール郊外プタリン・ジャヤの教会で、マレーシアのカトリック教会についてと、クアラルンプール周辺のマレー語共同体について聞き取り調査を実施した。司祭は中国系マレーシア人で、聞き取りでは主に英語を使用した。クアラルンプール周辺の複数の教会にはマレー語ミサ共同体があり、サバ・サラワク出身のブミプトラのカトリック信者は増加していることを聞いたが、同時にクアラルンプール周辺に住み続けるブミプトラのカトリック信者に対してなぜサバやサラワクに帰ろうとしないのかという疑問を抱いているということであった。
また聞き取りの途中から、教会で勤務しているクアラルンプール周辺のマレー語共同体に詳しいサラワク州出身の青年も加わり、マレー語で聞き取りを継続した。クアラルンプールでは主にサバ・サラワク出身者とインドネシア出身者のために形成されたマレー語ミサ共同体が存在することがわかっただけでなく、教会ごとに集まる人々の違いがあることを教えてもらった。具体的には、マラヤ大学や師範学校などが近隣にあるプタリン・ジャヤでは学生や卒業後に継続してクアラルンプールに住む人が、クアラルンプール南部のチェラスでは近くに基地がある軍と警察の関係者が、郊外のカジャンには行政首都プトラジャヤで働く公務員が、クアラルンプール中心部にはインドネシア人労働者が多いことがわかった。インドネシア語とマレーシアのマレー語は同一言語の別変種であり、マレーシアのカトリック教会のマレー語ミサは現状、インドネシアで翻訳された式文を使用しているため、インドネシア人はマレーシアでもマレー語共同体に合流することが容易であることが想像できる。
以上の聞き取りを通じ、クアラルンプール周辺のマレー語共同体について知ることができるだけでなく、教会ことにマレー語共同体の形成された経緯が異なることや、サバ・サラワク出身者が中心である共同体とはいえ、各教会ごとにそれぞれ特徴があり多様性が見受けられるほか、当事者のあいだでも認識されていることがわかった。


本調査の計画段階でクニンガウでの調査協力者を得ることができないまま出発した。イエズス会関係者やその他修道会の関係者にも尋ねたものの、クニンガウ司教区の教会関係者にたどり着く手がかりがなく、そのため調査協力者どころか知り合いの一人もいない状態で現地入りすることになった。今回の調査では幸い、クニンガウの教会関係者と知り合うことができ、また話を伺うこともできたが、短期間であったため本格的な調査ができるほどの関係性を築くには至らなかった。今後は継続してクニンガウでの調査も続けていく予定であるが、準備期間があれば公式ルートから調査地での協力者を得ることができたのではないかと反省できる。
またクアラルンプール周辺のマレー語共同体にサバ・サラワクのブミプトラが集まることがわかったものの、主にサバにおいてカダザンドゥスン語とマレー語のミサに出席する人々にどのような違いがあるかなどはまだわかっていない。上述の通りマレー語とカダザンドゥスン語の実践は線引きされるものではなく重複するものであると考えられるが、引き続き調査することでよりわかることが増えるであると考えられる。
今後の展望としては、今回の調査で築いた人間関係の維持に努め、次回調査時により具体的な聞き取り調査などを試みる。また今回の調査では調査項目を定めない非構造化インタビューが中心となってしまった。協力者を得ることができたので、綿密に準備し修士論文の執筆に取り組めるようにする。
(2023年度フィールドワーク・サポート 現地レポート)