髙橋 洋平(タカハシ ヨウスケ)
グローバル・スタディーズ研究科 地域研究専攻 博士前期課程
調査期間:2019年8月22日~9月9日


私たち日本人にとって、自らの人生を大きく左右する分岐点といえば何でしょうか。おそらく多くの人が、受験・就職・結婚などを挙げるでしょう。今回私が調査したのは、トルコ人男性にとっての人生の分岐点であるとされる「兵役への参加」をめぐって、トルコ人男性のなかでも、特に同性愛者がこれにどう向き合っているのかということでした。軍および皆兵制のない日本では想像することが難しいですが、トルコでは兵役に行くか行かないかによって、あるいはどのように兵役と向き合うかが、特に同性愛者にとって、その後の人生に多大な影響を及ぼしていることがわかりました。
調査は2019年8月22日から9月8日にかけて、トルコ南部の地中海沿岸に位置するアンタルヤ、および最大の都市イスタンブルで行いました。なぜこのタイミングで調査を行ったかといえば、ここ1年ほどで兵役をめぐる新たな法案が可決されてきたからです。
これまでトルコは男性皆兵制が敷かれており、国外で一定期間居住・労働している男性のみ、一定金額を政府に収めることで免除が許可されていました。つまり、国内に居住する男性は例外なく兵役への参加が義務付けられていたのです。しかし、2018年に新たに通過した法案により、誰でも15,000リラ(当時およそ45万円)を納付すれば、約1か月の短期訓練のみで兵役を終えることができるようになりました。この金額は多くの国民にとって非常に高額なものでしたが、さらに2019年6月の法案で31,000リラ(2019年現在のレートでおよそ60万円)への値上がりが決定したのです。
一方で、例外的に同性愛者は男性皆兵制の時代から兵役を免除されてきました。これは政府によって公式に明文化されたものではありませんが、先行研究によって実際に無料で免除となった人たちの存在が明らかにされています。つまり、新法案によって、男性同性愛者には、①兵役に参加する、②同性愛者であることを明かして免除を希望する、③一定の金額を納付することで短期訓練に短縮する、という3つの選択肢が与えられることになりました。そこで彼らがどのような信条や理由をもって、どの選択をしたのか(これからするのか)調査を行いました。 調査の軸は、当事者と対面して話を聞かせてもらう、質的な聞き取り調査です。インフォーマントを選択する方法はいくつか存在しますが、今回は私の直接的な友人を中心として、さらに一部の友人には彼らの知り合いを紹介してもらいました。そのため、実際の友人が6名と、友人に紹介してもらった2名の計8名に聞き取り調査を行いました。基本的な質問事項は日本で準備していき、おおむねすべてトルコ語で質問を行い、さらに掘り下げたいテーマがあれば追加で質問しました。調査場所は、レストランあるいはカフェ、まれに友人宅で実施しました。
同性愛者に限らず、トルコ人男性にとっての兵役とは、その後の人生を大きく左右しうる重要な分岐点であるようです。2019年9月現在の兵役期間は、大卒者はおおむね半年、大卒未満であれば約1年であり、この先、新法案により学歴に関係なく半年に統一され、希望者のみが半年延長できるようになる見込みです。こう聞くと、長い人生におけるたった半年(ないしは1年)の出来事にも思えますが、兵役への向き合い方によってその後の人生が大きく左右されるのです。当初の予定では、兵役との具体的な向き合い方について聞き取り調査をする予定でしたが、それが意図せずとも個人のライフヒストリーを聞き出すことになりました。
では、兵役への向き合い方が、具体的にどのように彼らの人生を左右しているのでしょうか。たとえば、ゲイであると自己同定するジェンギズハン(Cengizhan、本人希望の仮名、以下のインフォーマントについても同様)は、兵役終了後の就職を考えた結果、兵役への参加を決断しました。兵役が終わると、それを証明する公的な文書が発行されますが、それを有していない男性は公的機関に就職することはできないとされています。彼は政府機関で働くことを夢見ており、それを実現させるためには兵役への参加が絶対的な条件なのです。
あるいは、住宅を探すことに不安を覚える人もいます。メフメト(Mehmet)によると、住宅を契約する際にも、大家から兵役終了証明書の提示を求められることがあるのだといいます。これまで、男性皆兵制により兵役から免除されてきたのは同性愛者だけだったことから、証明書が提示できないことは同性愛者であることのサインであるともされてきました。就職・住宅契約の際に証明書が提示できなければ、その瞬間だけでなく、会社や不動産を通じて、近隣のコミュニティや家族にも彼が同性愛者かもしれないという噂が流れてしまう危険性(いわゆるアウティング)があります。彼らにとって、たった半年間従軍したか否かで、自立した生活が送れなくなるかもしれないのです。
同性愛者は無料で免除されるといっても、単に従軍の義務がなくなって楽ができるというわけではありません。むしろ、免除が認められるまで数回の検査を受け、本当に同性愛者であることを証明しなくてはならないのです。その手段には、心理テストの受験・肛門検査・同性間性交を証明する写真や動画の提示がありましたが、後者ふたつはEU加盟交渉中のトルコに対して、ヨーロッパ人権委員会が大きく批判したことで廃止されました。しかしながら、同性愛者を「心理性的異常(psychosexual disorder)」であると見なすこのシステムは、兵役に参加したくない同性愛者にとっては救いである一方、残酷でもあります。
今回の聞き取り調査のなかで、同性愛者が無料で免除されていることは、同性愛者だけが無料で国民の義務を放棄できる「特権」であるのか、それともヨーロッパ人権委員会が批判したように免除のプロセスが「人権侵害」であると思うか尋ねたところ、ひとりを除いて全員が人権侵害であると考えていました。しかし、人権侵害であり今すぐやめるべきであるという意見もある一方、人権侵害ではあるもののシステム自体は存続すべきであり、認定のプロセスのみ改善が必要であるという見解も出たのです。
反対に、特権であると答えたのはゲイのホマレ(Homare)です。彼はむしろ、同性愛者であるにも関わらず、高額な税金を納付したり、気の乗らない兵役をこなしたりすることは、お金と時間の無駄であるといいます。また、彼は各国の良心的兵役拒否 の動向に精通しており、トルコでも十分に認められるべきであると考えています。彼はまだ学生であり、これから兵役に参加するかの選択を迫られますが、間違いなく免除の手続きを踏むと決め、ゲイのコミュニティ内でどうすれば審査に通るのか、仲間たちと情報共有をしているところです。 以上のように意見は一部食い違っていますが、全員が現状のシステムには不満を抱き、改善を望んでいることがわかりました。
2018年から選択肢が3つへと増えたことで、個人が兵役と向き合う際のストラテジーも多様化しています。今回の調査は8名という限られた人数のインフォーマントを対象としていますが、それでも3つの選択肢それぞれを選んだ(これから選ぶ)人に話を聞くことができました。
何も申告せずに従軍したのは、メフメトとピカチュウ(Pikachu)、アリ(Ali)、ジェンギズハン、クゼイ(Kuzey)の6名です。彼らは全員が大卒・大学院修了(見込み含む)であり、従軍期間がおよそ半年であること、学歴によって役職が与えられ、過酷な労働はおおむねなさそうであることから、自分の意志で従軍を決意しました。うち3名は既に従軍しましたが、基礎トレーニング以外に過酷な労働はなく、戦地(現在では南東部)への配属もなかったといいます。むしろ、ほかの男性や職業軍人の軍曹などとの共同生活をおくることを楽しみにしていた者もいました。
一方、大学院に進学予定のウミ(Umi)は、15,000リラを納付することで従軍期間を1か月に短縮することにしました。彼は、良心的兵役拒否は同性愛者だけでなく、すべての人類に認められるべきであると考えています。兵役訓練中には拳銃の使用訓練があるとされますが、彼は銃を所持・使用することに抵抗があり、それが最大の理由になったといいます。とはいえ、現在の政府が定める最低月収が2,020リラ(2019年9月現在のレートで約4万円)であることを考えても、誰もが15,000リラ(約29万円)を納められるわけではありません。幸いにもウミの家庭は裕福であるため支払うことができましたが、彼によると若い男性の多くが、所有する自動車やスマートフォンといった高価な物品を売るなどして、この金額をどうにか集めようとしているようです。反対に、アメリカ以上の格差社会であるといわれるトルコでは、今回の調査でも他のインフォーマントから、この費用を支払える家庭に生まれた人を妬むような発言もありました。
最後に同性愛者であると自己申告をして、免除の審査を受ける決意をしたのが前述のホマレです。彼は他のインフォーマントとは異なり、ゲイ・コミュニティに身を置き、先輩ゲイの兵役参加・免除の様子を見てきました。彼の周りでは、およそ9割が免除の申請をし、受理されています。その最大の理由は、安全に関わることです。トルコで新聞を見ると、ほぼ毎日といっても過言ではないほど、新聞の一面に殉死した軍人の名前と写真が掲載されています。彼らの多くはシリア国境付近のトルコ南東部に配属され、トルコ政府がテロ組織として認定しているクルディスタン労働者党(PKK)との戦闘で命を落としています。基本的には、兵役で参加した新米兵が戦線に配置されることはありませんが、新法案によると、希望者は追加給をもらう代償に南東部に配置されるようになる見込みです。これについて、生まれが裕福ではなかったホマレは、貧しい人だけが危険な目に遭わされると強く非難しており、無料でこの危険性を回避できる免除の申請に向けた準備を行っています。
以上の例から分析できることとして、兵役参加を左右する決定要因となるのは、それぞれの金銭的な事情でしょう。たとえ反戦主義や平和主義などの個人的な信条をもっていても、上記のまとまった金額を支払えなければ免除されることはありません。同性愛者であることを申告し、「心理性的異常」であると認められれば無料で免除となるのですが、彼らの多くはこの免除のプロセスを人権侵害であると見なしており、アウティングの危険性もあることから安易に自分から申請することはありません。そのため、良心的兵役拒否を望む人の中でも金銭的な事情によって、①一定金額を納付して期間を短縮する人、②同性愛者であることを申告し免除の手続きに入る人(納付できないため人権侵害であるとわかっていながらも申請する)、③兵役に参加する(良心的兵役拒否をあきらめる)という選択をしている人に分かれるのだと思われます。
調査を振り返ってみると、予備調査としては十分な結果が得られたのではないかと思います。次回は修士論文の執筆に向けた本調査を実施する予定ですが、今回得られたデータを丁寧に整理し、今後より質の高い問いかけができるよう準備を行います。課題点としては、個人へのプライバシーの配慮が挙げられます。聞き取りの内容が個人の兵役体験やセクシュアル・オリエンテーションに関係するものだったため、調査自体も慎重に行いましたが、一部のインフォ―マントには、さらなる配慮が必要だと思われるケースも見受けられました。インフォーマントも私も、安心して気持ちよく会話のできる環境を整備できるよう、準備を進めていく予定です。
最後になりますが、本調査は上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻のフィールドワーク・サポートによる支援を受けて実施しました。ご協力いただいた先生ならびに専攻事務の方々に感謝申し上げます。