小島 賢夏(コジマ サトカ)
グローバル・スタディーズ研究科 地域研究専攻 博士前期課程
本稿では、現在執筆に取り掛かっている修士論文に関わり、本年11月にベトナムで行った調査の報告を行う。具体的な行程としては、ベトナム社会主義共和国ハノイ市を中心に、ベトナムの歴史文化を展示する各種施設をめぐり、その展示が叙述する歴史語りを検討した。期間は2019年11月15日(金)から2019年11月19日(火)と比較的短期間の訪越となったが、市内各所にある多数の史跡および博物館を余裕を持って回ることはできた。
今回の市内踏査にあたって、修士論文の「問い」に関わる二つの問題意識を持って臨んだ。一つは、修士論文で扱う時期である第三次インドシナ戦争(カンボジア国境紛争)と続く第四次インドシナ戦争(中越戦争)を中心とする1970年代後半の現代史に対して、いかなる歴史叙述が歴史展示に見られるかという問題意識である。二つ目に、現代史における日本との関係、特に貿易関係や取引された輸出入品が、現在の展示に見ることができるかという問い掛けを意識した。
本報告書の構成は、以下のようになっている。まず、「2.博物館展示」において、検討材料としての博物館歴史展示の有用性を示し、次いで、「3.1970年代後半の紛争」で一つ目の問題意識である当該時期への歴史認識を考える。そして、「4.日越関係」で二つ目の問題意識の日本との関係や貿易関係を見ていく。「5.おわりに」は本報告書の小括となっている。なお、本稿は修士論文執筆前に一応の報告書として記しており、暫定的な見解を述べるものである。また、本稿の提出にあたって、日頃の研究指導に加え、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻の調査支援を受けており、ここに記して謝意を表す。
史跡を含め博物館展示を訪れ、検討する価値は大きい。博物館を訪ねれば、国柄や風土、民俗や歴史がわかる1と多くの歴史研究者が指摘している。ここでは、歴史展示を検討する意義を考える。
歴史展示は、過去に起こった客観的事実としての出来事を伝えるのみならず、現在の視点から歴史を語る主体がどのように過去を認識しているか、また、どのような歴史を作りたいのかをも示している。歴史展示が過去を再構成することを、以下の引用は述べている。「モノはただ並べられているわけではない。ミュージアムには、個人から市町村・都道府県・国立までさまざまな設置主体がある。(中略)そして、それぞれの設置の目的があり、その目的にしたがって、展示(とくに常設展示)の内容が構成されている。(中略)そのため、その地域で発掘されたり、作成されたりした資料は、それぞれの歴史のなかの一部分として組み込まれ、その国や地域の「文脈」のなかにおかれることになる2。」それでは、今回の訪問で目にした歴史展示を次に見ていく。
1970年代後半に、ベトナムはカンボジア国境紛争と中越戦争という近隣国との戦闘を経験した。修士論文で扱う時期であるこの時代の政治情勢や国際関係を、現在のベトナムがどのように捉えているのか、検討する。
まず、国立歴史博物館3での展示を確認したが、1975年の南北統一への戦争後の紛争に関してはほとんど言及されていなかった。全近代史を主に展示するエリアAの建物はもちろん、1945年以降の侵略者との戦いを扱っているエリアB4でも、1975年の南北統一までの戦闘を詳細に展示しているのに対して、76年以降の展示室は少なく簡素であった。また、展示の色調も、戦闘が一段落し安定と繁栄を求める時代になったという記述が多く、とりたてて70年代後半の紛争や窮状を主張するものではなかった。
戦争や革命を重点的に扱うベトナム軍事歴史博物館5での展示においても、1975年以降の国際情勢に対する歴史叙述はほとんど確認できず、展示の重点はフランスやアメリカからの国家防衛戦争に置かれていた。唯一、展示パネルの中に、「two aggregation wars in the southwest (1978) and northern (1979) boarder」という交戦相手の国名を伏せた記述が見られたのみであり、現在の近隣友好国である中国およびカンボジアと敵対関係にあった過去になるべく言及しないよう配慮していることが窺われた。
タンロン遺跡6(旧ハノイ城跡)にも、1975年以降の歴史にまつわる展示や記述はなかった。本史跡は、1975年までベトナム軍最高司令部が置かれており7、敷地内のD67建物は、1967年から2004年までベトナム共産党政治部中央委員会が抗米戦争の戦略の会議の場となり、1975年1月8日には南ベトナム解放決議を行っているというが8、70年代後半の歴史に言及する説明や展示は確認できなかった。
また、戦争で活躍した女性や、夫・子・親が戦争の犠牲になった「育良勲章」や「英雄」を受けた女性についても紹介されているベトナム女性博物館9でも、戦争に関わる展示は1975年までで終わっていた。
以上の歴史展示から、現在のベトナム国内の公の歴史観において、南北統一を果たした1976年以降の国境紛争は大きく取り上げられていないと言えるだろう。
先述の時期の日本との関係、また、日本との経済関係に関する展示について、探してみたが、ほとんど確認することはできず、歴史展示において日本が言及されるのは、第二次世界大戦中の仏印進駐に関わるもののみであった。
国立歴史博物館の近現代史を扱う展示では、1940年代の国内情勢として、ファシスト日本による占領を受けたというパネル展示が見られたほか、日本とフランス共同支配下で発生した飢饉の写真が展示されていた。第二次世界大戦後の展示において日本は登場しない。他に見学した軍事歴史博物館および女性博物館でも、日本に言及する展示は確認されなかった。
また、1970年代に外交関係を樹立した日本大使館や貿易関係者の宿泊先としても使われたというかつてのトンニャットホテル10は、現在は、外国資本の豪華なホテルとして営業しており、当時の雰囲気を感じ取ることは難しかった。
1980年代に日本へ多く輸出された取引品であるエビの製造に関しては、国立歴史博物館の発展に向かう国家という文脈でパネル展示がなされていた。右図は、国立歴史博物館に展示された輸出用の冷凍加工エビを作っている場面の写真パネルである。輸出に貢献したという説明がある一方、輸出先などに関する言及はなかった。
同時期以降に、ベトナムから日本へ多く輸出された石油についても、国立歴史博物館の現代史の展示の中に見つけることができた。右図は、輸出もされた石油である。ベトナムの重要な資源であり、輸出にも貢献しているという記述はあったが、特に輸出先などに関する説明はなかった。
石油以前から、日本へ多く輸出された北部から採れる良質な石炭であるホンゲイ炭についても、国立歴史博物館など11で探してみたが、展示されていなかった。
以上の展示から、日本との関わりについては、第二次世界大戦中の仏印進駐以外の文脈で一般に公の歴史が語られることはないと考えられる。また、貿易で扱われた輸出品については、国家の発展の文脈で生産が語られており、輸出先に関する言及は歴史展示では確認されない。


今回の訪越時の二つの問題意識に対して、それぞれ次のように答えることができるだろう。第一に、1976年に終わる一連の外国との戦争および南北統一以降の現代史は、国家の発展への時代という時代区分にまとめられ、その中で起こった近隣国との紛争に今日の国家の歴史観が言及することは少ない。第二に、日本との関係に関しては、第二次世界大戦中の仏印進駐が語られるのみであり、以降の政治的および経済的関係について、一般向けの博物館展示では確認されない。主要輸出品目の展示紹介はあるが、輸出先は明示されておらず、国家の発展を象徴する生産活動に重点が置かれていると言える。
今回、把握した歴史認識を基に、ベトナム側の歴史叙述も踏まえた分析を修士論文でも行っていこうと考えている。