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院生のフィールドレポート

エジプト / タンター

報告者:

近藤 文哉(コンドウ フミヤ)
グローバル・スタディーズ研究科 地域研究専攻 博士後期課程
調査期間:2019年10月14日~11月13日

アフマド・バダウィーのマウリドにて
預言者マウリドのザッファ(奥にサーリフ・ジャアファリー・モスク)

 本調査は、エジプト・アラブ共和国のタンター市で実施されるアフマド・バダウィーのマウリド(聖者祭)、ディスーク市で実施されるイブラーヒーム・ディスーキーのマウリド、カイロ市における預言者ムハンマドのマウリドを対象として実施した。
 加えて、預言者マウリドの期間中販売される、マウリドのアルーサ(花嫁人形)の状況の調査も行った。

アフマド・バダウィーのマウリド調査

 アフマド・バダウィーは、モロッコのフェスあるいはイラク出身の聖者であり、タリーカ(スーフィーの流派・教団)のアフマディー教団の創始者である。彼のマウリドは、エジプト国内で有数の規模を誇る。その実施日は、その他の多くのマウリドがイスラーム暦に準拠しているのに対し、太陽暦(農事歴)に従い毎年10月に実施されることになっている。しかし、正確な日付は年度ごとに多少変化する。本年度のバダウィーのマウリドでは、2019年10月17日がライラ・カビーラ(偉大なる夜)だった。その日は、聖者の誕生日であるとされ、祝祭が最も盛り上がる日であり、また1週間ほど続く祝祭の最後の日でもある。報告者は、タリーカのテントが密集する広場(サハ)において、昨年度と同じタリーカS(ミヌフィーヤ県T村を拠点とする)を調査した。タリーカの祖であるシャイフの息子兄弟のひとりはハッジュ(メッカ巡礼者)であり、英語が堪能、かつエジプト国内のマウリドを数多く渡り歩いてきた経験を持つ。例えば、アスワン以東の都市で実施されるシャーズィリー教団の祖アブー・ハサン・シャーズィリーのマウリドにも赴いたことがあるという。バダウィーのマウリドにおいては、露天商などの商行為を実施する人々は、聞き取りのかぎり皆近隣地域やカイロから来ていた。対して、スーフィーの参詣の活動・範囲はエジプト全土に及ぶものであり、両者の間にある大きな相違点のひとつであろう。
 また、シャイフの孫2人はともにアズハル大学の医学部を卒業しているという。彼らとの会話において興味深かったのは、タリーカSの創始者であり、彼らの祖父であるシャイフのマウリドの日付についてである。前述のように、マウリドは通常イスラーム暦に従い実施されるため、西暦の観点からは1年ごとに10日前後早まって実施されるようになる。しかしながら、彼によれば、そのシャイフのマウリドは毎年実施されているにもかかわらず、実施日はイスラーム暦ではなく西暦に従って(5月上旬)規定されているという。むしろ、「イスラーム暦でいつなのか」という報告者の問いに対しては困惑すらみられた。これまで報告者が調査してきたのは、歴史上非常に有名な人物の、長年にわたって継続されてきたマウリドであった。それらのエジプトのマウリドの実施日からみれば、バダウィーのマウリドこそが例外的な事例であり、その特殊性は、注目されつつも一般的なマウリドの考察において脇に追いやられていた。しかしながら、その他にも西暦に準ずるマウリドがあるという事実は、「どのようにエジプトのマウリドの実施日が決定されるのか」という問いが大きなものであることを報告者に自覚させることになった。こうした問いに対しては、ここ数十年(まだ祝われる当人の息子が生きているような、西暦が大きな役割を担う時期)に始められた小規模なマウリドを調査することが今後必要であると考えられる。

イブラーヒーム・ディスーキーのマウリド調査

 タリーカのブルハーミー教団の祖、そしてアフマド・バダウィーの弟子だったイブラーヒーム・ディスーキーのマウリドの偉大なる夜は、バダウィーのマウリドのそれのちょうど1週間後の10月24日であった。報告者は、当日の午後にディスークに到着後調査を行った。
 バダウィーのマウリドと比較して、ディスーキーのマウリドは規模が大幅に小さくなっており、使用される空間の広さ、また人の密集度は、カイロのサイイダ・ナフィーサのマウリドに類比される。祝祭はディスーキーの廟が置かれるモスクを中心として、主に南西の広場、北東と南東へと至る通りにおいて実施されていた。広場と南東への通りには、砂糖菓子を販売する露店と移動式遊園地が設置されており、遊園地の遊具には、バダウィーのマウリドにあった施設も観察された。他方、北東へと至る通りは、主にタリーカの人々が滞在する場所とみられ、さまざまなタリーカの人々がその通りからさらに奥の通りにもいることが確認された。
 ディスーキーのモスクでは、人々は男女の区別なく同じ出入口から出入りしており、聖者廟内でも、礼拝の際先頭付近は男性しかみられなかったものの、男女の区別はされていなかった。報告者がモスクで滞在している時間は、ちょうどマグリブ(日没)の礼拝が行われる時間であったが、礼拝が終わった後、人々は聖者廟の隅に設置された「預言者の手型」の石へと詰めかけた。これは、預言者からバラカ(恩寵)を授かるためであり、人々はその石をしきりに撫で、その手で自身の頭を撫でるなどしていた。アフマド・バダウィーのモスクでは、預言者の足型があり、ディスーキーのモスクはその対比だという推測もできるが、足型は他の聖者廟でもしばしば存在するため、現在のところ比較のための根拠とはなっていない。
 マウリドの警備に関しては、警察のバリケードによってマウリドの空間の内と外は分けられているものの、バダウィーのマウリドとは異なり、金属探知を行うセキュリティーゲートはなく、また荷物検査などの検問自体も行われることはなかった。

預言者マウリドの調査(カイロ)

 2019年11月8日、9日は、カイロで預言者のマウリドを調査した。8日は夜の7時以降、フセイン・モスク側に設えられたテント群で順次ズィクル(神の想起のための修行・儀礼)が行われた。特に目を引いたのが、東南アジア系のムスリム(主にアズハル留学生)が非常に多く詰めかけていたことだった。テント群の位置する敷地に入ると、アジア系と認識された人々は一律に最も奥で規模が大きな、去年は存在しなかったT教団のテントに誘導された。そのため、そのテント内は、地元の人々が極度の少数派という状況となった。また、昨年の預言者マウリドや、カイロのサイイダ・ザイナブ、サイイダ・ナフィーサのマウリドでもみられたM教団のズィクルを調査した。ズィクルは日に数度実施されるようであり、その都度朗誦される予定の詩のコピーが参加者に配布される。ズィクルは、身体的な側面をほとんど有さず、配布された詩を朗誦することに力点が置かれていた。ズィクル終了後、参加者には簡単な飲み物が渡され、その後夕食も(報告者は丁重に断ったが)提供されたようである。こうした無料の飲食物の提供はヒドマ(サービス、奉仕)と呼ばれており、他のすべてのマウリドで観察される。また、こうした一連の形式で行われる実践はハドラ(集会)とも呼ばれる。
 9日には、タリーカによるザッファ(行進)の調査を行った。ザッファはこれまで、預言者マウリドの当日、午後に行われるアスルの礼拝後、サーリフ・ジャアファリー・モスクから西のフセイン・モスクまでの数百メートルを経路としていた。しかし今年度のザッファは、ジャアファリー・モスクが起点だった点は変わらないものの、タリーカの行列は北へと進路をとり、スーフィー教団最高行政府al-mashikha al-amma lil-turq sufiya(المشيخة العامة للطرق الصوفية)を終点として行進は解散した。掲げられていた旗はしまわれ、行列の最後尾の騎馬隊の監視をよそ眼に、解散したタリーカの人々は再度自主的に盛り上がりを見せつつ個別にフセイン・モスクに向かった。
 以上のような経路の変更は、地元の人々にとってもあまり認知されていなかったように思われる。ザッファが始まる前には、例年通りの経路上の縁石に座り行進を待つ人々が多数存在し、また、ザッファの解散後には、見物客とみられる人物が、タリーカの人間に行列が終わってしまったのか聞く場面もみられた。この変更は、後日発行された新聞上では、安全上の問題が要因であると記述されている。確かに、これまでの経路では、数百メートルという距離の行進にもかかわらず、道が狭く極度に人が密集してしまっていた。加えて、海外の観光客も多く、何らかの事件が発生すれば、政府にとっても大きな打撃であると考えられた可能性がある。また、2017年の預言者マウリドにおいて実施予定であったザッファは、300人以上が死傷し、スーフィーが対象とされていたともいわれている直前に発生したシナイ半島でのテロ事件によって中止となった。この事例も考慮された可能性がある。加えて、もともとal-mashikha al-ammaはフセイン・モスク付近にあり、その機構が今回の終点である施設に移動したことも大きな要因であると考えられる。新施設付近には警察組織の一部とみられる施設も存在し、道路の幅も広く、監視という点からは非常に都合の良い場所であろう。

マウリドのアルーサ(花嫁人形)の調査

 その他の期間は、主にマウリドのアルーサの調査に充てられた。アルーサは、預言者のマウリドの期間中に販売され、民衆的・フォークロア的な存在として、エジプト人に認知されている。アルーサには、伝統的技術によって砂糖から作られた砂糖菓子人形、プラスチックの人形を装飾したプラスチック人形の2種類がある。報告者はこれまで、双方の製造過程と販売に関して調査を行ってきたが、今回の調査ではその他、アルーサのイメージを用いた装飾品販売について調査を行った。
 これらアルーサをイメージとして作られた装飾品は、ザマーレク、ダウンタウン、マアディー、ナスル・シティといった富裕層向けのセレクトショップで販売されている。キーホルダーのような安いものでも50-100ポンド(約300-650円)で、一般的なエジプト人にとっては非常に高価である。デザイナーも同じく富裕層とみられ、聞き取りした女性の一人は、上述の砂糖菓子人形やプラスチック人形にはほとんどなじみがないとのことであった。
 以上のように、ほとんどのエジプト人が認知するアルーサという対象は、社会・経済資本の異なる人々によって様々な認識・消費をされている。こうした点はアルーサの研究において非常に重要な観点であると考えられることから、今後も装飾品販売について継続して調査する予定である。